第30回例会卓話内容

会員レポート(中国出身 張旭梅 会員) 「中国の春節について」PART2
 

 

 

前編(第29回例会)でご紹介したように、中国で最も盛大かつ最も重要な祝日は春節(しゅんせつ)です。春節とは旧暦の正月で、厳密に言えば旧暦の1月1日です。年越しの行事の側面もあるので、旧暦の12月24日(北方では23日)に竈神(かまどがみ)を天に送る行事前後から、新年を迎える準備が始められ、旧暦正月15日の元宵節まで終わります。

春節の準備は大変です。部屋の掃除をしなければならないうえに、伝統の年越し料理を準備するために食材を買い入れもしなければなりません。大人が忙しく準備する中、子供はいよいよ新年だと気づき美味しい食べ物を待ちきれないようにはしゃぎます。子供を落ち着かせるかのように下記の童謡が作られ、詞から春節の準備でせわしさが伺えます。

 

小孩小孩你别馋, 过了腊八就是年。

腊八粥喝几天, 哩哩啦啦二十三。

二十三糖瓜粘。 二十四扫房子。

二十五磨豆腐。 二十六煮煮肉,

二十七杀年鸡, 二十八把面发,

二十九蒸馒头, 三十晚上玩一宿,

大年初一 扭一扭。

 

童謡の味を十分出せませんが、歌詞の意味を意識して下記のように訳してみました。

 

新年待ちの 食いしん坊の子

腊八粥後、カウントダウン

23日 ねばねば飴    24日 部屋掃除

25日 豆腐をつくり   26日 肉煮込み

27日 鶏肉用意     28日 生地準備

29日 饅頭を蒸し    30日 大晦日 夜横ならず

元旦 朝早く 挨拶交わす

 

 春節の行事は歴史が長く、そこから中国の伝統文化の一部を知ることができます。ここで春節カレンダーから幾つかの日を選んで、ご紹介ご紹介させていただきたいです。

旧暦12月23日:かまどの神を祭る日 (「祭竈節」「送竈」 
どの家族にも必ずかまどがあります。かまどには一人の神が一年中駐在し、その家族の行動を観察します。12月23日になると竈神は、一年間近く観察していたこの一家の諸事をつぶさに上司へ報告するために、天に昇る旅をはじめます。その上司とは「玉皇上帝」のことです。「玉皇上帝」は竈神の報告を聞いて、その一家の善悪を判断します。善行が多ければ幸福を授け、悪行が多ければ厄災を科します。人々は竈神のご機嫌をとるために、"甘い報告"をしてもらうために飴を供えるわけです。その飴は結構粘っていて、それを口に入れるとろくに話ができないほどです。竈神にその飴を食べてもらって、ねばねばで多く喋らないようになることを図っているでしょう。なお、余る飴は子供たちがもらいます。この日で一番喜ぶのは竈神ではなく、子供たちでしょう。

右側の「上天言好事」とは、天に昇り、褒めてもらおうとする意味でしょう。

子供は供え用のねばねば飴を持って、竈神に食べてもらおうとしています。

竈神に供える飴です。寒さで硬くなりますが、室内でしばらく置くと、少しやわらかくなり、結構粘るようになります。にんにくのような形のものがありますが、中身は平らな長いものと同じです。

 

旧暦1224日:大掃除 「掃房日」

「埃」は中国語では「旧」の発音と同じです。新年が訪れる前に、部屋を掃除することで、埃を払うように旧いものとも別れを告げ、新しいい一年を迎えます。

 

旧暦12月25日:豆腐を作る

 豆腐を手作りします。もちろん、今は手作りではなく、スーパーで買い入れます。

 

旧暦12月28日、29日 饅頭を作る

家族の人数、来客の人数を考えて、十分の饅頭を作らなければなりません。少なくても正月5日までの量を用意しなければならないということです。

 

旧暦1230:「除夕」「年三十」=大晦日

大晦日は一家団欒過ごす日で、春節のピークです。東北地方の人は家族揃って、餃子を作り、零時が過ぎてから家族全員で餃子を食べます。大晦日で餃子を食べる由来は諸説があります。一説は餃子には新と旧が入れ替わる「更歳交子」という意味もあるからだということです。新年初めの日で餃子を食べることは過去をリセットし、新たな姿勢で新年を迎える意味があります。一説は餃子は「元宝」という昔の金で作られる貨幣の形(船にお饅頭が乗っているような形)に似ているので、縁起がいいと思われます。山盛り盛られた餃子はお金持ちになる意味をもち、更に餃子に綺麗に洗ったコインを包みんでおき、一番先に食べ当てた人はこの一年で金持ちになると言われています。

私は餃子が大好きです。自分で作れますが、写真のような綺麗な形にはなかなか作れません。これで私は、金持ちにはなる可能性は低いですね(笑)

中国は広いです。各地はそれぞれの習慣があります。餃子を食べる習慣は主に東北地方です。四川省は大晦日では湯円というお菓子を食べ、湖北省では鳥スープを飲み、春巻を食べるということです。お餅、デザートを食べる地域もあるそうです。食事は異なっても、家族揃ってこの日を祝う人々の気持ちは同じです。「今年も家族一家団欒になるように」と皆そう願っているのです。

 

旧暦正月1月1日 初一
この日から年始回りの「拝年」が始まります。訪問する順番について民間には次のようなことわざがあります。「初一叔、初二舅、初三初四拜岳父」、和訳すると、1月1日は父側の叔父さん家、1月2日は母側叔父さん家、1月3日と4日は義理のお父さん家です。今は地方により風習が異なり、訪問順番についても昔ほど硬くはありません。


子供は目上の人に新年挨拶するとお年玉がもらえます。中国では「压岁钱(ya 1声  sui4声 qian2声)」と呼ばれます。「岁」は歳の意味で、中国語では「祟り」の発音と同じです。「压岁」は祟りを払う意味の中国語の発音と近いことで、子供に毎年「压岁钱」を配ることで、災いから子供を守るという大人の願いがあるでしょう。

 

~挨拶の言葉いろいろ~
「恭喜發財」 財産がたまるように
「萬事如意」 願い事がかなうように
「新年好」  良いお年を
「新年快楽」 楽しい一年を

 

旧暦正月1月2日

結婚する娘は夫婦二人で娘の実家に戻り、挨拶する日です。娘はこの日、実家で食事を取らなければなりません。また実家の子供たちにお年玉を用意する必要があります。

 

旧暦正月1月4日 
午後には、竈神が従者とともに上司のところから帰ってきます。それを迎えるために、お供え物の準備を始めます。竈神が帰ってくると、神の監視から解放されていた期間も終わりとなります。

旧暦正月1月5日

昔は大晦日の日から旧暦五日までのの五日間は、「火」を点けてはならない、「鋏み」に触れてはならない、「包丁」を手にしてはならない、などのタブーがあったそうです。それは、火をつけて料理を作ると「火事の災」、鋏みを使うと「口喧嘩の災」、針で裁縫をすると「目の災」、包丁を使うと「出血の災」を招くと言わたからです。この日が過ぎると、すべて解禁され、新しい一年が本当に始まることを意味します。5日が過ぎるとすべての禁忌が破ることから5日目を「破五」とも言われます。

この日は新春の始まりだけでなく、「財神(財産を配る神)」の誕生日とも言われています。各家族はお供え物を用意し、神様を迎えます。

財の神様はまたは次のような格好です。

 

春節イベント

春節祝賀のイベントは地方によって違います。ここで北京の春節イベント――「廟会」についてご紹介いたします。

 中国の「廟会」は日本の所謂「縁日」に近いものです。中国の春節、つまり旧正月の期間を代表する一大イベントでもあります。「廟会」では、軽食や買い物用の屋台などが並び、伝統舞踊や「雑技」「獅子舞」など、さまざまな催しが行われます。毎年多くの市民や観光客が訪れています。

赤いちょうちんには「地壇春節廟会」と印されています。

左:竜壇廟会の獅子舞。右:西洋の要素も取り入れた廟会。

 

北京廟会とは、庶民の風俗習慣に基づく祭りで、一年に一度、「春節(旧正月)」に行なわれます。北京の廟会は、「地壇公園」「龍潭湖公園」「廠甸」「白雲観」等で開催され、開催日時は、旧暦の12月20日頃から約1ヶ月です。

昔、北京には無数と言ってもよいほど多くのお寺がありました。「廟会」は本来、宗教活動で神様や仏様に対する祭りを行う行事でした。祭りに来る参拝客によってお寺が賑わうと、その人出を当て込んだ露天商や芸人たちが集まるようになります。だんだんと廟会という言葉も「市が立つ」という意味になって使われるようになりました。時代の変化に伴い、「廟会」は宗教活動から商業活動や娯楽行事のほうに変貌しつつあります。

北京廟会の中で最もにぎやかで、人々に最も喜ばれているのは白雲観(道教の寺院)、東岳廟と地壇公園のものです。春節の期間に、これらのスポットは美しく飾り立てられ、黒山のような人だかりで、押すな押すなにぎわいぶりです。伝統的なイベントは「福の札」を買い、「布の上に福の字の模様を描き」、「福の道を歩き」、親族の人たちに「福のカードを送る」などの福を祈る行事のほか、ショートなる獅子舞い、竜舞い、竹馬踊りなど豊富多彩です。何と言っても欠くことのできないのは北京の軽食および色あざやかなタコ、切り紙、飾り物と民間工芸品があります。

 

廟会の民芸品

中国で有名な民芸品ブランドである「泥人張」の作品。特殊な工程で普通の泥を粘度の高い泥に作り、その泥で人形を作ります。人形は物語を参考にするか、庶民の生活を手本にするか作られます。例えば写真に写るのは、春節に二人の子供が片手に爆竹、片手に糖胡盧(後で紹介する)をもち、はしゃぐ様子です。

 

廟会に見られる鯉のたこです。

 

 

廟会で販売される民芸品。ピンク色は猪、その隣は鳥、後ろは猿。

瓢箪で作る民芸品

 

風車

 

廟会で行われる民俗行事

中国式かご。昔の交通道具として使われました。今は民俗行事の一つと変貌しました。

 

 

 

高足踊り。東北地方では特に流行っています。木で作られる三、四十センチの棒は足に固定されます。

 

高足はこのように足に固定されるのです。私は小さい頃遊んだことがあります。踏んで歩くことは易しいですが、踊ることは難しいです。私には無理でした。

 

ドラ・太鼓競いとその次にご紹介する獅子舞は、新年のにぎやかな遊びで、南方の農村で特に盛んです。年末から正月十五日の間、ドラや太鼓の音が四方八方からひびきます。ドラ・太鼓競いは大衆的なレジャーで、村ごとにドラ・太鼓隊があります。クライマックスに達すると、それぞれのドラ・太鼓隊は力の限り音をだし、互いに競って、自分たちのひびきで相手を圧倒しようとします。

 

獅子舞も民間の伝統娯楽で、正月の四日から十五日のあいだに、獅子舞の隊が村を巡回します。その隊は七人から十人ぐらい、同じ装束をまとい、腰に同じベルトをしめ、刀や棒をさし、威風堂々としています。獅子頭はそれぞれ異なっており、「猫がしら獅子」「おんどり獅子」「闘牛獅子」などがあるそうです。獅子頭は目、鼻、口をそなえており、彩色を施され、毛糸や鈴で飾られて、胴は色とりどりの布でつくられ、とても美しいです。

舞う時には、ひとりが両手で獅子頭を高くかかげて頭部になり、ひとりが背をまげて尾部になり、ドラや太鼓のリズムにあわせて舞いながら、地上をころげまわったり、飛び跳ねたりしています。

 

 

獅子舞の歴史は古く、その技は相当なレベルに達しています。勇ましく猛々しいもの、すばやく動きまわるもの、動作がこまかく軽やかなもの、ユーモアに富んでいるものなど、十人十色です。

 

伝統芸能

宮廷衣装

京劇

 

 

伝統食べ物(お菓子メイン)

廟会では、「シャオチー」と呼ばれる伝統的な軽食の屋台が出ます。昔から人気があるものは以下のものです。

糖胡盧―――サンザシの実を串刺しにし、飴をからめたお菓子。

美容効果もあるといわれ、私の大好物です。

煎灌腸――ソーセージのように固めて薄く切ったデンプンを揚げて、独特の調味料をかけたもの。私が食べたことがないので、おいしいかどうかまだ分かりません。

豆汁(左下)――北京特有の飲み物で、春雨を作る際に出る汁を発酵させたものです。発酵させたものなので、酸味と独特のにおいがあります。

豌豆黄―――エンドウが原料で、柔らかく口溶けがいい羊羹のようなお菓子。食べやすくておいしいです。

 

百果もち;甘くてふわふわで、おいしい!

驢打滾――粟餅にきな粉をまぶしたお菓子で、ロバが黄砂の上で転がっているように見えることから名づけられています。

羊肉串―――羊肉を串刺しして炭火で焼くもの、肉食系の大好物ですごくおいしいです。

 

北京はほかにも名前が覚えられないほど有名な伝統的軽食があります。今後機会があれば、またご紹介しましょう。

以上は北京廟会でした。次は春節の終わりだといわれる元宵節(げんしょうせつ)についてご紹介したいです。

 

元宵節

正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日。日本でいうところの小正月にあたる)を祝う中華圏での習慣です。正月は別に元月とも称され、元月の最初の宵(夜)であることより元宵節と命名されました。「過年」は元宵節を迎えて終了する重要な一日です。

この日の朝は、どの家でも「元宵」という団子を食べる習慣があります。元宵はまた「湯円」とも呼ばれ、作り方も簡単です。ピーナッツやクルミ、ゴマなどを煎り、砂糖を加えて餡を作り、小さくて丸い玉にします。それをもち米の粉に入れて、水を加えながら左右に揺らし、ピンポン大の団子になるまで、均一に粉をつけます。こうした作り方は、俗に「揺元宵」(元宵を揺らす)と呼ばれています。南方の家庭では、もち米の粉を練って手のひらの上に伸ばして餡を入れ、その生地を閉じて丸くするやり方もあります。そして、沸騰させた湯に入れてゆでるか、または熱した油でサッと揚げるかの形で食べます。

元宵の餡には甘いものも、塩辛いものもあり、とてもおいしいです。また、元宵には「元」と「円」の発音が同じであることから、一家団らん、家族円満の美しい願いを込めています。

元宵節は、人々にとって格別な楽しみです。半月前の春節は「兆し」や「前ぶれ」に気をつけるので、タブーが多く、さまざまな言動に注意しなければならなりません。しかし、元宵節はリラックスした楽しい祭りで、タブーがありません。警備の厳しい昔の時代でも、この日ばかりは夜間外出禁止令が解除され、皇帝、大臣から一般の庶民まで、また、普段普段は外出が慎まれる女子たちも、町に出て、美しい灯籠を楽しむのです。そのため、元宵節を「中国のカーニバル」と呼ぶ人もいます。

元宵節でもっともにぎやかなのは、民間の「花会」です。俗に「閙元宵」(元宵節を楽しむ)と呼ばれていて、各地にそれぞれ独特な催しがあります。「花会」ではよく見られるのは色とりどり飾られる提灯です。

北京市朝陽公園内で行われる元宵節提灯祭り

伝統芸能のボールを遊ぶ獅子

 

 

上海が元宵節を祝う風景

 

 

中国の春節の祝うぶりを北京を例にして簡単にご紹介させていただきました。皆様、いかがでしょうか。一度行ってみたいと言っていただいたら、何よりです。私は皆様のお国のイベントや行事に興味を持っております。チャンスがあれば是非教えていただきたいです。最後まで読んでいただき、心より感謝を申し上げます。真にありがとうございました。

以上が会員レポートでした。


第29回例会卓話内容

今年2月10日は旧暦でいう中国のお正月です。それについて張旭梅会員がレポートとしてわかり易くまとめてくれました。

納めきれないという事で続編も今執筆中です。どうぞ今まさに中国では準備の真っ盛りです。中国の文化について皆様とともに勉強してみたいと思います。

どうぞお楽しみ下さい。

 中国の春節(1)   張 旭梅会員

 

 

 

帰省ラッシュの「春運」

春節(旧正月)は中華圏で最も重要とされる祝祭日で、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国や台湾のみならずシンガポールなどの中華圏国家では数日間の祝日が設定されています。

春節で中国人が旧年に別れを告げ、一家がだんらんして新年を迎え入れます。中国で最も盛大かつ最も重要、最もにぎやかな祝日です。春節ほど中国の人々に重要視される祝日はありません。人々は万障を繰り合わせて帰郷し、この祝日を家族とともに祝うのです。一年中外で出稼ぎに出る人たちにとって、春節は唯一長い休暇が取れて実家に帰り家族と過ごす時期です。子供が遠い都市で離れて暮らす家族にとっては、春節は親が子供の顔が見える有難い、または唯一のチャンスだといっても過言ではありません。

毎年春節が近づくと、中国国内は帰省する人々で賑わっています。春節の帰省による発生する大規模な人口移動を中国では「春運」と呼ばれています。中国鉄道部によると、1月26日から始まった旧正月の帰省ラッシュ「春運」で、全国で鉄道を利用した旅客数はのべ525万6000人に達したということです。鉄道部門は合わせて旅客列車4500本を運行し、うち臨時旅客列車は358本に達しました。以下は「春運」の様子です。

 

写真:帰省する乗客で込み合う駅の待合室。

下の写真と比べたら、これはまだ空くほうだとしか言えません。

 

写真:帰省する乗客で込み合う駅。

 

写真:広州駅、帰省する親子。お土産で荷物がいっぱい。 

写真:帰省ラッシュに見える子供たち。右上の男の子が手にしたのはインスタントラーメン。

写真:杭州駅、荷物いっぱいのバケツを両手に取り、背中にはリュック、首まで荷物をかけてホームで先を急ぐ四川省出身の郭さん。とにかく帰省する人たちの荷物が多い。

 

写真:改札口を通りかかる風景。赤い帽子を被っているのは駅員。

写真:1月26日、北京始発の出稼ぎ労働者専用車。北京は出稼ぎ労働者の数が最も多い都市の一つ。出稼ぎ労働者は普段実家に帰るチャンスがない(交通費がかかるとか、仕事が忙しいとか等の理由で)ので、春節は家に帰る有難い機会となる。稼いだお金を持って帰る出稼ぎ労働者も多い。

 

春節はいつ?

 

これほど大切な祝日はいったいいつなのでしょう。春節(しゅんせつ)は旧暦の正月です。厳密に言えば春節は旧暦の1月1日です。西暦になると毎年日にちが違います。

2012

2013

2014

2015

2016

月日曜

1月23日、月曜日

2月10日、日曜日

1月31日、金曜日

2月19日、木曜日

2月8日、月曜日

 

なぜ春節のことを過年とも呼ぶ

 

春節は中国では過年(和訳:年越し)」とも表現されています。年越しの行事の側面もあるので、旧暦の12月24日(北方では23日)に竈神(かまどがみ)を天に送る〈辞竈〉の行事前後から、一部地方では12月8日の腊八祭から、新年を迎える準備が始められ、旧暦正月15日の元宵節までの期間を示すものです。厳密に言うと春節は旧暦1月1日の1日だけですが、民間では旧暦12月中下旬から正月15日までの期間を春節または過年と呼び、そのピークとなるのは旧暦1月1日です。

 

写真:春節らしく、おめでたい赤色の装飾が随所に飾られているスーパー。「超市」とはスーパーの意味。この写真はネットでダウンロードした2009年丑年の模様なので、左の写真に写る赤い装飾の真ん中には「牛」の文字が見える。

 

次は春節の始まりだと思われる「腊八祭」を簡単に紹介した後、過年の由来、春節の伝統風習を紹介したいと思います。

 

腊八祭 “腊八节”(là bā jié)

旧暦12月は、中国では「腊月(ラーユエ)」と言われます。中国では12月の8日に「腊八粥」を食べる風習があります。12月8日はもともと釈迦が悟りを開き、仏教を創設した日とされています。寺院ではこの日に雑穀やなつめ、木の実などを煮たおかゆを仏前に供えたことから、後に民間でも同様のおかゆを食べるのが習慣となりました。これを“腊八粥”といいます。

民間ではこの日が近づくと中国の各家庭は8つの穀物を入れたおかゆを炊いて皆で食べます。穀物は各家庭によっていろいろですが、小豆や、栗、もち米やとうもろこし、緑豆や高粱、胡桃に小麦などです。これを煮立せ、弱火でとろとろになるまでゆっくり火にかけ、最後に砂糖で甘く味付けをして食べます。南のほうの地方では穀物ではなくて乾燥させた果実や種で作る場合もあります。

 

「腊八粥」

 

 

                    「腊八粥」の素材  

 

 

北京のほうではこの日はにんにくの皮をむいて酢に付け、春節の大晦日に食べる餃子の薬味にする習慣もあります。黒酢にニンニクを浸した酢は腊八にちなみ、「腊八酢」と呼ばれます。

 

「過年」の伝説

春節にまつわる文化は、さまざまな祝日のうち最も多彩とされます。中国人の春節には伝統的な習慣が多い。年画、春聯、門神などを張り替え、大掃除をし、爆竹を鳴らし、火を燃やし、ちょうちんを吊るします。南方では〈年糕〉という餅(もち)や、北方では餃子(ギヨーザ)を作ったりします。これらの風習は歴史が長く、そこから中国の伝統的な文化と一部の基本理念を知り、古の人々の考え方を知ることができます。春節は「過年」とも呼ばれます。「過年」にまつわる伝説が多くありますが、中には分かりやすく、広くしられるものは次のとおりです。

 

昔昔、山の奥には「年」(ネン)という獰猛な生き物が住んでいました。

絵:ネットユーザーが想像する『年』

「年」の体は大きく、力は強く、吼えれば天は揺れ大地は裂けんばかりに震えるほどでした。普段「年」は、山の鹿やイノシシなどの動物を捕まえて食べていますが、寒い冬がやってきて、動物達が冬眠してしまうと、食べ物を見つけることができなくなってしまいました。飢えた「年」は彷徨いながら深い山を抜け、やがて麓の村々にまで姿を現すようになります。

はじめは村人の養っていた鶏が取られ、その次に羊や牛などの大きな家畜までも食われるようになり、とうとうその食欲は人間にまで及んできました。村人達は「年」に恐れていたが、どうすればよいか分からないので、寒い冬がやって来るたびに村の人々は荷物を片付け、山の上に逃げるしかできませんでした。

ある年の冬、いつものように村の人々は山の上に逃げようと準備しているところに、髪の毛が真っ白のお爺ちゃんが現れてきました。お爺ちゃんは「一晩泊まらせてください。この一晩で必ず『年』を撃退します。皆さんも逃げる必要はありません」と「年」のことを恐れないだけでなく、まるで「年」を撃退する方法が分かっているように、村の人々を頼みました。「年」の正体を十分分かっている村人はお爺ちゃんの話を信じようとしませんでした。「一緒に逃げよう」とお爺ちゃんを説得しようとしましたが、お爺ちゃんに断れたので、村人たちはお爺ちゃん一人だけを村に残して、山の上に逃げました。

いつものように、寒い夜がやってきました。しかしいつもと違うのは、麓の村から大きな音が伝わってきました。「トントン」、「トントン」。同時に「バチバチ」とか「びびばば」の音も山に隠れている村人たちの耳に伝わってきました。何が起きているのだろうなと村人は村のほうを覗いてみました。すると不思議な光景が目に入りました。「ビバビバ」の音と共に、炎のような光も目に入ります。何よりも村人が驚いたのは威張っている「年」は、村に近づけようとしているのに、何かを恐れいてるように、村の入り口のところでいらいらしながらうろうろしているのです。

そのとき、真っ白い髪の毛のお爺ちゃんは赤い服を一身にして、手には赤くてビバビバの音をしながら光るものをもって村の入り口にやってきました。「年」はお爺ちゃんとお爺ちゃんの手に持つものを見ると、何か怖いものでも見たかのように、さっさと姿をけしました。

その後村人達はお爺ちゃんから「年」の怖がる3つのものを教われました。

1つ目は、「赤(紅)いもの」

2つ目は、「明々と燃える炎」

3つ目は、「大きな音」

その翌年、寒い夜が訪れると、村人達は家の門に赤い紙を貼り付け、門前で火を焚いて、爆竹をならし、「年」を迎え撃つことにしました。やがて山から下りてきた「年」が目にしたものは、村中の門に赤い紙が貼り付けられ、明々と焚き火が燃え盛る様子でした。 「年」は近づくことができません。さらに村人達は、鍋や太鼓を持ち寄って大きな音を打ち鳴らしました。これにはさすがの「年」もたまりませんでした。恐ろしさのあまり山の中に逃げ隠れ、二度と村を襲うことはありませんでした。

明くる朝、「年」を撃退した村人達は共に喜びながらお祝いの言葉をかけあいました。

「おめでとう!無事に年をやり過ごせたね!」

これが現在に至り、家や店舗の入り口に赤(紅)色の春聯と「門神」を貼り、爆竹を鳴らす「過年」(除夜~元旦)の習慣になったと言われています。

 

■春節の風俗習慣

春聯を貼り付ける

春聯は春節に門に貼るめでたい一対の句で、たとえば、「物華天宝、人傑地霊」(豊富な物産は天の賜物であり、優秀な人材は土地の霊気によって生まれる)とか、「歳々平安日、年々如意春」(としごとに平安な日々を迎え、年々願いがかなえる春のように)のたぐいです。春聯の由来は古代の「桃符」で、早くも春秋戦国時代に、「家に桃符をかける」という記載が見られます。新年を迎える時に、桃の木の板に護符を書き、それぞれ左右の門の扉に貼りつけて、邪を避け、福を迎え、旧を除き、新をたてました。桃符に春聯を書くようになったのは、五代の後蜀(934~965)に始まります。『宋史・蜀世家』には、後蜀主の孟昶は「毎年除夕に学士に詞をつくらせ、桃符と題し、寝室の門の左右にかけさせた……」と記載されてい ます。のちに孟昶は学士の用いた句が気にいらず、みずから筆をとって、「新年納余慶、佳節号長春」(新しい一年に去年の福を受けつぎ、このすばらしい祭日を長い春と呼ぶ)と題したというが、これが中国の最初の春聯と思われ ます。

 

写真:この春聯は自分で書いたもののように見える。ドアには門神という絵も貼り付けている。次のように、門神ではなくドアの真ん中に「福」という文字を貼り付ける習慣もある。

 

 

春聯が木の板から紙にかわったのは、宋代です。当時、翰林院の学士や文人は好んだ自分の書いた詩や対句を宮城の門に掛けておきました。明の時代になって、明の太祖朱元璋が力を入れて提唱したために、春聯がはやりはじめました。明の太祖は南京に都を定めてから、ある年の新年に、すべての門に一対の春聯を貼り出すように命じました。その後、おしのび姿で見まわってみると、色とりどりの春聯が軒並み貼り出されているので大いに機嫌をよくしました。ところが、たまたまある家が春聯を貼りだしていないのに気づきました。たずねてみると、それは豚を去勢する商売をしている家で、代筆を頼む暇までないとのことでした。明の太祖はすぐさま筆墨を用意させ、「双手劈開生死路、一刀割断是非根」(両手で生死の道を切り開き、一刀で是非の根を切りさく)という春聯を書いてあたえました。この春聯はじつにユーモラスです。

 

 

春連の売り場

 

この古い風習は現在まで受けつがれていますが、時代の変遷にしたがって、その内容も新しくなってきています。豊かな生活、山河のすばらしい風景をたたえるもの、または幸福な生活に対する憧れを託したもの……。このような春聯は向上、進歩の心をかきたて、見る目に喜ばしく、祭日に春の息吹を吹いてくれます。

 

■春節の風俗習慣

門神を貼り付ける

春節には、家々が軒並みに「桃符」という桃の木で作った二枚の板を門の両側にかけ、凛々しい門神やまっ赤な紙の対聯(対になっているめでたい文句)を貼り、どこもかしこも、みな目のさめるような美しい色でいろどられ、おめでたい気分に満ちあふれます。

 

春節に門神を貼る風習は古来からのもので、民間には門神について多くの面白い物語が伝えられています。門神とは、いったい誰をさしているのだろうか? 諸説ふんぷんであるが、一説によると、それは秦瓊と尉遅恭なのだそうです。唐の太宗李世民が病気にかかった時、夢で鬼の泣き叫ぶ声を聞きました。夜が明けてから家臣に伝えると、開国の将軍秦瓊と尉遅恭が、よろいかぶどに身を固め、剣と刀を手にして門のそばに侍立しました。その夜、太宗はひと晩じゅう、鬼の夢を見ませんでした。彼は長期のやすらぎを望んだが、二人の将軍を日夜侍立させるに忍びず、画匠に命じて二人の形象を描かせて御殿の門に貼り、「門神」と称しました。それからというもの、民間でも争って真似をするようになり、春節には門神を貼って魔除けのまじないにしました。

 

■春節の風俗習慣

年画を貼り付ける

門神を貼るほかに、年画も中国新年の特徴をあらわす民間芸術の一つです。題材には豊作を祈る「五穀豊穣」、幸福を願う「大吉大福」、子供が授かるよう「赤ちゃん」などがあります。歴史的に有名な年画の産地は、天津の楊柳青、蘇州の桃花塢、四川の綿竹、河北の武強、広東の仏山などで、楊柳青の年画は特に称賛を得ています。

年画は吉のいいもの、または吉のいい意味合いを描きます。この年画には「蓮」と「魚」があります。「蓮」の発音は「連続」の「連」の発音と同じ、「魚」の発音は「余」の発音と同じなので、この年画は「毎年余るものがあるように」つまり「幸せが満ち溢れる」ことを祈る意味です。

 

この年画は子供が遊ぶ光景を描きます。子供の健やかな成長を祈ることでしょう。

年画の名前は鳳凰来訪です。鳳凰は伝説上で吉のよい動物です。鳳凰が訪れることは、来年がいい一年になることを意味しています。

この年画は親子を描いています。親も子供も来年無事になることを祈る意味でしょう。

 

■春節の風俗習慣

「福」を貼り付ける

 福は幸福、幸せの意味なので、春節に人々は福と書かれる赤い紙をドアや壁など貼り付け、新年が福をもたらすことを祈ります。

 

福を逆さまに貼り付ける習慣もあります。逆さまの発音は中国語では「到」の発音と同じです。福を逆さまに貼り付けると、「福が到来」、つまり「福が訪れる」意味です。

 

 

福は吉のいい意味なので、切り紙にもされて、窓に貼り付けられます。このような切り紙のことをまた「窓花」と呼ばれます。

 

この切り紙には福という文字のほかに、蓮と魚もあるので、幸せが溢れる一年になるようにという意味です。

 

■春節の風俗習慣

窓花を貼り付ける

 窓花とは窓に張る切り紙のことです。昔南方にしても北方にしても春節になると人々は窓に切り紙を貼り付けましたが、最近は南方では結婚式のみに貼り付け、春節には貼り付けない人も増えてきたといいます。

 

 

 

写真のように自分の手で窓花を作る人もいれば、作り方が分からない人間(筆者のような不器用な人間)もいるので、ネットでは完成品の窓花も売られています。

 

■春節の風俗習慣

爆竹を鳴らす  

伝説に現れたように、古代では竹を焼き、弾ける音で邪気を払い、平安と吉祥を祈ったことから今の風習に発展しました。

 

 

■春節の風俗習慣

ちょうちんを吊るす  

太陽の祭祀に関連して生まれた習慣です。ちょうちんは繁盛と幸せを象徴します。布で作るちょうちんは最も多いです。

 

 

下記のような紙やプラスチックで作るちょうちんもあります。

 

いかがでしたでしょうか?今回はお正月 春節についてでしたが、次回は北京の春節を祝う風景、元宵節などについて引き続き中国の最大の祝日についてご紹介いたします。少しでも皆様の文化理解に繋げていただければ幸いです。

以上 張会員レポートでした。

 


(第5回例会より)過去の例会卓話記事より抜粋

会員レポート  香港 クラブ幹事 中前 動画&テキスト 写真はテキスト内容をご参考下さい。

 

(内容テキスト並びに写真)

「香港」      

 

私が今年の三月より住んでいる香港について今日はお話ししたいと思います。

少し香港に旅した気持ちになっていただければと思います。

会員のリクエストにお応えして、今回は食べ物を後半に少しご紹介します。

香港 正式名称

1983年1月1日までは "The Crown Colony of Hong Kong"

1997年6月30日までは "The British Dependent Territory of Hong Kong"

1997年7月1日からは 『中華人民共和国香港特別行政区』 "Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China"

繁体字:『中華人民共和國香港特別行政區』

 

面積

1,104k㎡ 東京都の約半分の大きさです。

人口 719万人 2012年推定

 

香港の地理

香港は地図でいうとこちらに在しております。

 

香港抜粋地図はこちらです。

 

 

私が住んでいるのは香港島のCauseway Bay 銅鑼湾 という所です。

 

気温

最低気温は2月の10℃近くから真夏の32℃近くまでです。

湿度が高く夏は高温多湿です。湿気対策、紫外線対策が必須です。

 

政治

香港の政治の特徴は香港主権移譲後に施行された一国二制度にある。これはイギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での民主化および政党政治への移行期にあたり、また社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムを継続して採用されることになっている。

 

言語

公用語は英語と中国語であるが、実際の共通語は、中国語方言の一つである広東語です。人口の 95.2%が広東語を常用もしくは理解し、38.1%が英語を常用もしくは理解するそうです。イギリスの統治が始まってから1974年までの間、英語は唯一の公用語とされていたが、中国語(普通話に近い形で書いて広東語で発音する)も事実上の公用語であった。香港が中国に主権移譲された後(1997年以降)は、香港特別行政区基本法第9条により、香港の行政・立法・司法の場において、中国語に並ぶ正式な言語として英語を用いることができると規定されているそうです。

香港の若者は英語を話しますが、年配の方は広東語のみです。

街中でも英語教室や、日本語教室、普通語教室等語学教室のバリエーションをみても香港を物語っています。

例)

*こんにちはの意味 

普通語 你好(ニーハオ)

広東語 你好(ネイホウ) 

*ありがとう

普通語 謝謝(シェシェ)

広東語 多謝(ドーツェー)

等 違いがあります。

 

香港で有名なもの:

  • 香港の建物は超高層ビル群

 IFC国際金融中心

 

香港上海銀行・香港本店ビル

中国銀行タワーの夜景

 

風水学上からか、真ん中に穴が開いたビルを良くみかけます。

②    香港の街並み

カラフルで大きなネオンが特徴です。また新旧の建物が入り混じっております。

香港島の繁華街(銅鑼湾

 

 

 

街のお寺でたかれているお線香ま丸くなっています。

③    香港名物のりもの

ミニバス(かなりスピードが速く、ローカル香港人も多く利用します。公共バスの走っていない部分を

さらに密に結んでいる乗り物です。)

 

 二階建て公共バス

 

トラム(路面バス)

2階建ての路面電車は世界で唯一だそうで。

 

 

日本にはない乗り物でいつものってもワクワクします。

 

④    夜景

そして何と言っても夜景ですね。

100万ドルと言われるほどです。

このトラムにのってビクトリアピークの山頂まで登ります。

 

登るとこのような風景です。

 

記念写真をとってくれる場所もあるのでこちらも良い旅の記念になります。

 

⑤    香港グルメ

まずは名物飲茶です。

 

ワゴン式で運んでくる大規模で庶民的な酒楼、やオーダーシートでメニューから選ぶものまでいろいろです。最近はアツアツのものを食べられるようにワゴン式が少なくなっているようです。

いつも朝から地元の人であふれております。

点心といえばエビ入り蒸し餃子(右奥)と、チャーシュー入りまんじゅう(手前左)

豚肉やエビのすり身の湯葉巻(手前右)

 

広東料理といえば

中国4大料理のひとつだそうです。(山東、江蘇、四川、広東)

ふかひれ、アワビ、海鮮料理の他にもガチョウのロースト等も有名です。

お店の前でガチョウがぶら下がっています。

@YUNG KEE RESTAURANT

 

 

香港デザート

女性に人気のエッグタルト

つるつるしているのが香港式

 

焼き目がついているのがマカオ式(ポルトガル式)皮もサクサクしています。

 

そしてマンゴープリン

タピオカが入った冷たいデザートも有名です。

 

香港にはカフェが一杯あります。

古いスタイルから新しいものまで

香港といえば香港紅茶(ミルクティー)です。お砂糖を沢山いれて飲むのが香港式です。

 

レモンティー

レモンの量にご注目下さい。

 

 

コーヒーもミルク入りの「白珈琲」が主流です。

ブラックの方は「黒珈琲」と言わないといけません。

量もたっぷり注いで出てきます。

 

そして香港麺

エビワンタン以外にも色々な種類があります。

スープや、麺や、具を組み合わせて街中には麺粥屋さんが沢山あります。

 

↑ワンタン麺

 

 

↑エビパウダー入りロウ麺

 

 

香港では出前一丁が人気です。

火鍋屋さんの絞めメニューに必ずついています。

火鍋もスープ、具等お好みでオーダーして好きな味で予算に応じて楽しむ事ができます。

冬の火鍋屋さんはいつも大人気です。

 

カメゼリー等健康に良い食材も沢山町にはあふれております。

医食同源という言葉を 中国の薬食同源思想から来た日本の造語で、「日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方」をこの町に住み始めて感じるようになりました。

まだまだ紹介したいと事は沢山ありますが、次回の第2弾レポートも楽しみにしてください。一人でも多くの方が香港を楽しんでいただければ幸いです。

是非遊びにいらしてくださいね。

 

 


(第14回例会)過去の例会卓話より抜粋記事

会員レポート  

ミャンマー出身 ヤンゴン在住 タンシンナイン会員

 

皆さん、こんにちは!

このレポートでは私の自己紹介と最近日本で注目されているミャンマーについて紹介いたします。

【自己紹介】

ミャンマーの第2の都市であるマンダレーというところで生まれ育ちました。高校卒業後にヤンゴンへ移転し、1997年には日本へ留学しました。栃木県の小山高等専門学校と東京の電気通信大学で化学/物理学を専攻しました。

電気通信大学大学院在学中に米山奨学金を受けて、調布ロータリークラブに2年間お世話になりました。金銭的な支援だけではなく、奉仕の精神を持つロータリアン達と出会えたことは非常に有意義であったと思っています。

大学卒業後には東京で4年程就職して、2008年9月にミャンマーへ帰国しました。帰国後にJETC語学学校を設立し、2011年からUNITEL Mobileという名前で携帯電話販売事業に参入しました。現在、友人と新たに不動産サービス・資産運用事業も立ち上げてしています。今後のミャンマー国の成長とともに成長していくように努力している日々であります。その他、ミャンマー元日本留学生会の執行役員、大和総研のミャンマー事業環境に関するアドバイザーとして務めています。

【ミャンマー紹介】

 今まで、日本のマスコミで殆ど取り上げられてなかったこの国は、最近となって注目を浴びたのはなぜでしょう。少しでも理解を深められるよう皆さんに紹介させていただきます。私は、主に以下の4点が魅力として感じさせたのではないかと思います。

  1. 資源豊かな国
  2. 戦略的な位置
  3. 成長性
  4. 政治的な変化

人口: 約6000万人                             面積: 約68万km2(日本の1.8倍)

民族: 135類

 

ミャンマー(旧ビルマ)

1. 資源豊かな国

 

ミャンマーは驚くほど資源物が多い国です。その中で現在、国家収入に最も貢献しているのは天然ガスです。現在生産中の2プロジェクトから昨年度の収入は35億米ドルで、更に開発中、開発可能なガス田が多くあります。その他、石油も取れまして約30ヶ所の油田があります。

 <開発可能なガス田

次に、鉱物も多くとれています。金、銅、鉄、亜鉛、チタン等多種類のレアアースとルビー、ヒスイ、サファイア等の宝石類が取れます。ルビーに関しては世界一のルビー産地として有名です。ヒスイについても良質で希少なものが最も取れる国だといわれています。

<金鉱物>                               <ミャンマー産ルビー> 

 

<ミャンマー産ヒスイ>

 

ミャンマーは面積約68万平方kmの国土に多くの平原を持ち、人口の65%が農民であります。かつては、「アジアの米ビツ」といわれ、世界最大の米輸出国でもありました。(1960年代以降、米輸出大国から姿を消したままになっています。)また、約2万kmという南北長い国で、赤道上の気候から冷涼な温帯気候にわたっていることから、熱帯作物であるドリアン、マンゴー、ココナツ、ゴムのほか、温帯作物であるリンゴ、梨、お茶など、多様な作物の栽培ができます。

 

 

一手で行うミャンマーの田んぼ>                               

 

        <茶畑

 

ミャンマー産ドリアン、マンゴ、リンゴ

 

 

2. 戦略的な位置

 ミャンマーは世界人口の最大国である中国と第二のインドと国境が接していて、その他バングラデシュ、タイ、ラオスとも隣接しています。それは世界人口の約四割の人と国境貿易ができることです。また、アシアン東西回路の西側の終点であることは、東南アジア諸国のインド海へのゲートウェイの役割を果たすことになります。そういった意味で、ミャンマーの南部にあるダウェイ(Dawei)という地域で東南アジア最大の経済特区を計画しているのであります。

 

 

計画中である東南アジア最大のダウェイ経済特区(250 sq km

 

3. 成長性

ミャンマーのGDPは約243億ドルで、タイの10分の1、ベトナムの3分の1であります。一人当たりのGDPが742ドル(JETRO)とかなり低い水準であります。しかし、識字率が9割を超えるという高水準であります。人口が6000万人ほどいるので、低賃金の人的資源が豊富であるといえます。上記の潜在能力から考えると実に飛躍的に経済成長できる十分なポテンシャルのある国であります。このまま政治、経済改革が進めば経済成長率が8%以上になるとアジア開発銀行が予想しています。

<1878年に設立されたヤンゴン大学>

 

4. 政治的な変化

なんと言っても、世界中の注目を浴びる引き金となったのは政治的な変化です。

  1. 年ぶりの総選挙が2010年10月に行われ、2011年3月に元将軍であるテインセイン大統領が率いる新政権が誕生しました。新政権には軍関係者が多数占めており、実質的な軍政支配が続くと見られていましたが、この一年間で大統領が手がけた、アウンサンスーチー氏の議会参入、政治犯の釈放、民主化運動派との対話、武装族との和解などで国民の信頼を受けるようになってきました。国際社会からも政治改革を答えることとして、経済制裁の解除・停止などがされました。

以前から良好な関係を保っていた日本との間ではミャンマー大統領の28年ぶりの日本公式訪問、数多くの要人が両国間で往来するようになり、国交が一段と深まるようになりました。経済的な面でもODAと円借款の再開、人的支援、技術的支援などで全面的な協力姿勢となっています。

アウンサンスーチー氏とミャンマー大統領

    

クリントン氏とミャンマー大統領

野田総理とテインセイン大統領    

                  

ミャンマーの国会

 

潜在能力が非常に高い国ではありますが、国を正しく成長させていくために「民族間の平和体制」、「法令の整備」、「インフラー整備」、「汚職対策」といった課題を乗り越えていかなければならないと思います。

これが「現在のミャンマー」に対する私が思った理由をまとめてみました。少しでもミャンマーに関する知識が増えたら幸いに思います。

今回は政治・経済を中心とした話しではありましたが、またの機会に文化や観光的な内容を紹介できたらと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

以上 タンシンナイン会員レポートでした。

 

 


(第11回例会)過去の例会卓話より抜粋記事

 

会員レポート

  上海出身 学友会員 沈 佳琦会員 
  上海レポート 音声&テキスト配信

 

音声についてはこちらから↓

(写真は順番に添付させていただきましたので、音声と内容と写真スピードが一致しない旨をご了承くださいませ。)

動画を再生しながらテキストを追っていただけますとより効果的です。

 

 

One Day in Shanghai

 皆さん、最初に自己紹介をさせていただきます。東京米山ロータリーEクラブ2750のメンバー、沈佳琦(しんけいき)と申します。出身は中国の上海です。今日の卓話時間を借りて故郷の「上海の一日」をテーマにお話させていただきたいと思います。

 それでは、上海の朝はここから始まります。

写真1 上海の朝

 

まず、一緒に上海語で朝の挨拶をしましょう。侬早(ノンゾォー)。

「おはようございます」という意味です。もう一度リピートしましょう。

侬早(ノン・ゾォー)。よくできました!

 いかがですか。上海語の発音は普通話(プートンファ、中国の共通語)よりも話しやすいでしょうか。

 この調子で、もう3つほどよく使われる挨拶表現を覚えましょう。

 一つ目は、侬好(ノン・ホー)。「こんにちは」という意味です。

  二つ目は、谢谢(シャア・シャア)。「ありがとうございます」という意味です。

  最後は、再会(ゼェ・ウェー)。「さよなら」の意味です。

 皆さん、上手に発音できましたか。たくさんの言葉を覚えたところで、お腹もすいてきましたね。上海の伝統的な朝ごはんをご紹介いたします。

写真2 大餅(ダー・ピン)、油条(ユー・デォー)、豆腐浆(ドォ・ウー・ジャン)

 

 

    

 

“大餅”(ダー・ピン)は小麦粉から作られた食べ物です。作り方は「ナン」と似ています。一般的に、ねぎを練りこまれた塩味と砂糖が入っている甘い味の2種類あります。どちらも仕上げにゴマを振りかけられて、熱いうちに食べると香ばしくてとてもおいしいです。

“油条”(ユー・デォー)とは揚げパンみたいなものです。少し塩味が効いて、外はカリカリで、中はもちとした食感です。

“豆腐浆”(ドォ・ウー・ジャン)は豆乳のことです。

    

写真3 食べ方

 上海流の食べ方は、写真3のように、油条(ユー・デォー)を2つ折りにして、大餅(ダー・ピン)で包んで、一緒にかじります。または油条(ユー・デォー)を豆腐浆(ドォ・ウー・ジャン)の中に落として一緒に食べる人もいます。

 さて、朝ごはんを食べたところで、上海の町に出かけましょう。移動の手段としてはタクシーをお勧めです。バスは乗り換えが複雑すぎるので、上級者向けです。地下鉄は乗り換えは便利ですが、駅から目的地までたどりつくのにまた一苦労がかかります。ネットで簡単に調べられる道案内のソフトが数多く存在されますが、中国語で表記されているものが多くて、初めて上海を旅行する方にはやはりタクシーは一番便利だと思われます。

 

写真4 上海のタクシー

 

 写真に載っているタクシーは上海の大手な二大タクシー会社で、“強生”(ジャン・スン)と“大众”(ダア・ゾン)です。大手タクシー会社のタクシーに乗ることをお勧めです。初乗りの値段は3キロで14元です。その後1キロ2.4元です(2012年8月現在の値段)。またタクシーを降りる際に必ず領収書をもらうようにしてください。後から遠まわしによる超過請求に気づいた場合、領収書があれば返金してもらえます。

ちなみに「領収書をください」の上海語は

发票给我(ファッ・ピョウ・バッ・ウォー)

タクシーで上海最大の工芸品のタウン“城隍庙”(ズェン・ワン・ミョオ)に到着しました。

写真5 “城隍庙”(ズェン・ワン・ミョオ)

 

持ち帰り用のお土産や記念品は是非こちらでお求めください。ここでよいお土産が購入できるように、「値切れ術」という必須技をぜひ紹介しておきたいのです。

①   気に入った商品の値段を尋ねます。たとえば「500元」といわれます。一度目は大げさに値段を下げてみましょう。「50元」とか。このときの店主の表情を観察するとよいのです。ひどく嫌がる顔をして、「行け」「行け」という手振りをしていれば、この値段は低すぎると判断できます。

②     今度店を変えてみます。そのタウンにある店は大抵同じ商品を扱われるところが多くて、そこで買わないともう買えないという心配はありません。二軒目で先ほどの値段に少し多めにプラスした値段を提示し、たとえば「150元」とか。そこで店主はすぐ売ると承諾したら、絶対に買わないことです。この値段はやや高いということがわかります。

③     一二軒目の学習から、この商品の適当な値段は50元~150元の間だということが推測できるでしょう。そこで自分が払いたい値段を決め、三軒目の店で交渉してみてください。

④     最終的に払いたい値段の+30元の幅をつけて交渉できると思われます。

一見手間のかかる買い物ですが、これこそ上海民風の一つではないかと思います。値切る習慣のない日本からすれば、不思議に思うのかもしれません。上海人が「値切る」根本的な目的はやはり「節約」ではないかと私は考えます。買う人は1元でも安く買いたい、売る人は1元でも多く売りたい、というように両者の気持ちの出会いから「値切る」という行為が生まれたのでしょう。これは上海の人々が一生懸命と生きている証ではないでしょうか。

 買い物がひと段落したところ、“城隍庙”(ズェン・ワン・ミョオ)で一番有名な小笼包(ショウロンポウ)屋でお昼ご飯でも食べましょうか。

写真6 “南翔馒头店”(ノー・シャン・ムェ・デォ・ディ)

 こちらのお店のショウロンポウはかに肉いりで有名です。店頭でガラス張りの作業場を覗くことができます。従業員さんがかに肉をかき集めていることが見られます。ただ、いつも行列なので、時間の余裕を持って並びましょう。

 午後のティータイムとして“湖心亭茶馆”(ウー・シン・ディン・ゾォ・グェ)という老舗をお勧めします。ここでは一人50元で日本語か英語による中国茶道の演技が見られ、お茶の飲み比べもできます。

写真7 湖心亭茶馆

いよいよ日が沈み、夜景を楽しむよい時間帯になりました。上海の夜景を楽しむ一番いい場所はなんと言っても“外滩”(ガー・テー/ワイタン)です。黄浦江(こうほこう)にはさまれ、上海は西と東に分かれています。西側では植民地時代に建てられた欧米風の建物が大勢残っているのに対して、東側には近代風の高層ビルが林立されています。

写真8 浦西の夜景

 

 

  写真9 浦東の夜景

 

 

夜景のほかに上海のナイト街もぜひ一度尋ねてみる価値があると思われます。

ナイト街で一番有名なスポットの一つとして、“新天地”(シン・ティ・ディ)というところがあります。30年代風の上海をイメージした町並びで、レストランやバーやディスコなどたくさん集まっています。バンドによる生演奏はもちろん聞けるし、露天のテーブルで友達と飲みながら語りあうのも悪くないでしょう。

写真10 新天地

 

まだたくさん紹介したい内容があるのですが、紙面の関係で今日はここで終わらせていただきます。ご覧の通りに上海は現代さに古典さが混じり、東西融合の町です。しかしながら、時代の新しいものをどんどん受けついていくと同時に忘れ去っていくものも出てきています。上海語もその一つです。いま上海では上海語が話せない現地の子供が増えています。普通話の普及により、方言離れが日々深刻化になってきています。また、国際結婚の家庭の増加や留学の低齢化などの影響で、多数の言語間で移動させられている子供も増える一方です。その子供の多くは中国語がうまく話せなかったり、読めなかったり、書けなかったりします。語学教師をやっている私自身にとっては、非常に悲しい現実でもあります。

近い将来上海に戻って、一人の日本語教師として、日本語や日本文化を上海の人々に紹介するとともに、一人の中国語教師として多くの子供に中国語や上海語を伝えていきたいことは私の小さいながら大きな夢でもあります。

 以上、ご清聴をありがとうございました。シャア・シャア。

以上沈会員レポートでした。

 


(第10回例会)過去の例会卓話より抜粋記事

会員レポート  

  日本出身会員東京在住 篠塚 信一郎会員 
  福島・宮城視察レポート 動画&テキスト配信

 

「福島・宮城への旅行について」

動画はこちらから↓

(動画テキスト内容)

今年の四月十五~十八日に、三泊四日で東北へ旅行に行きました。目的は、単純に「東北でお金を使うこと」でした。当時はこのような形でレポートすることになるとは思ってもいませんでしたので、気がついたときに何カ所か写真を撮ったりしただけでしたので、あまりまとまったレポートにはならないと思いますが、そのときに見た物、感じたことを書いてみようと思います。

 

 

拡大図

(A)アパートを出発。車で北へ向かいます。

 

(B)いわき市

初日はいわき市で宿泊しました。残念ながら到着時刻が遅く、余り観光はできませんでした。町中では津波の被害などはさほど感じられませんでしたが、港の近くなどでは、壊れたり汚れたりしたままの建物も若干見られました。

 

(C)Jビレッジ

二日目は、まずJビレッジへ向かいました。ご存知かと思いますが、現在は東京電力福島第一原子力発電所の作業員の中継所となっています。ここから更に北に向かうと、道路が封鎖されており、折り返しを命じられます。Jビレッジの近くには、綺麗な花が咲いていました。

 

このまま北へは進めないので、Jビレッジから内陸へ大きく廻り、福島市を通り、高速道路を宮城県へ向かいます。途中のサービスエリアでソフトクリームを。

 

(D)女川町

 

大きな津波被害のあった女川へ行きました。行く途中の石巻市も被害が大きく、舗装道路のアスファルトがめくれていたり、壊れた家がそのままになっていたりしていました。ですが、女川の被害はこれまで見てきた状況とは桁違いで、「殆ど何も残っていない」と感じました。写真奥に段々が見られると思いますが、下の数段は何も残っておらず、上の数段にのみ、家が残っている状況です。

 

「マリンパル女川おさかな市場」という土産物屋の仮店舗でお土産を買いました。日程の都合で生ものは買えませんでしたが、お菓子や乾物、キーホルダーなどを購入。ここから仙台へ戻る途中、偶然仮設住宅の横を通りましたが、とても写真を撮る気にはなれませんでした。


(E)仙台市

 

この日は仙台市内へ戻り宿泊。夕飯には冷麺と牛タン。写真は食べかけの牛タン。

(F)南相馬

仙台から南下。再度福島へ入り、海沿いを南相馬市を目指して進みます。酷い状況でした。建物と言える物はほとんど無く、道沿いのフェンスは壊れたまま、アスファルトもデコボコな状況で、一面に瓦礫は山積み。1年経って、依然としてこの状態であるというのが、目の前で見ている光景なのに、なかなか自分の頭では理解できませんでした。

 

ただ、若干高台にある町中は普通の町並み、生活が戻ってきているようで、ファミリーレストランもコンビニも通常通り営業していました。少し安心しました。

(G)郡山

最終日は郡山にて宿泊。郡山市内は既に平常を取り戻していました。お土産に薄皮饅頭を買って帰宅しました。

短い期間で、宮城県同様、大きな被害のあった岩手県などを訪問することができませんでした。また、今回の旅行で何よりも強く感じたことは、報道に対する違和感です。余りに原子力発電所に関する報道が多く、二万人近くの死者・行方不明者を出した津波被害からの復興や対策についての報道が少なすぎるのではないかと考えます。

今後も東北への旅行を続けていこうと思っています。

以上 篠塚会員レポート

 

 


(第9回例会)過去の例会卓話より抜粋記事

会員レポート  

 日本出身会員 福岡在住 高橋 知里会員

皆さま、こんにちは。Eクラブ会員の高橋知里です。

今回は自己紹介と4月から移り住んだ福岡県についてご紹介させていただきます!

生まれはイギリス・スコットランドで育ちは山形県!

生後10ヶ月から母の実家である山形県に移り住み、そこで18年間過ごしました。

なので山形弁を話せます(笑)16歳の時に山形県大江ロータリークラブさんのスポンサーのもとアメリカ・オレゴン州に1年間留学させていただきました。大学進学とともに東京に上京し、1年間第2750地区のROTEX活動(主に留学生支援)にも参加させていただいておりました。大学卒業後は食品商社に就職し、マーケティング業務を担当しています。入社2年は本社に勤務し、4月より九州支社に転勤となり福岡県での生活を満喫しています。

福岡県はとても魅力的な県です。住んで間もないですが、私なりに感じている福岡県の魅力をご紹介します。

まずは福岡県について・・・

九州本島の北部に位置し、九州地方の県では最も人口が多い県です。県庁所在地の福岡市は九州最大の都市で九州地方の経済・交通の中心になっています。福岡市と北九州市の2つの政令指定都市を抱え、いわゆる三大都市圏以外では唯一人口密度が1,000 人/km² を超えているなど繁華な県です。

【福岡県の魅力①:グルメな県】

福岡には「とんこつラーメン」「水炊き」「めんたいこ」「一口餃子」「焼きカレー」など様々なご当地グルメがありますが、その中でおすすめ店をご紹介します。

福岡に来た際には是非足を運んでみてください。この他にも屋台などもおすすめですよ~

【福岡県の魅力②:豊かな自然】

市内からちょっと足をのばせば、海や山など自然を満喫できるスポットもたくさんあります。オススメは門司港!フェリーで山口県にも行くことができます。

またまた食の話になってしまいますが、「唐戸市場」(写真左)では海鮮丼や寿司などを市場を見ながら食べ歩くことができます。これがとても美味しい!!

【福岡県の魅力③:ハイセンスなお店】

中心街である博多には「阪急」、天神には「三越」「岩田屋」「大丸」など百貨店がたくさんあります。また薬院・大名・警固にもオシャレなセレクトショップが建ち並びます。このエリアの雰囲気はまるで東京でいう表参道や代官山のよう。福岡県は男性よりも女性の比率が高い県ということもハイセンスな店が多い理由の一つなのかもしれません。また美容室が国内で最も多い県としても有名です。

【福岡県の魅力④:パワー溢れる祭り】

「博多祇園山笠」

770年を超えて受け継がれる祭りで豪華絢爛な「飾り山笠」(写真左)の展示を幕開けに7月15日の早朝4:59にスタートする「追い山笠」(写真右)では、ふんどし姿の男性が山笠を担ぎ、威勢よく街を疾走します。

以上が私のロータリーレポートです。

福岡に来る機会があればご連絡ください。職業柄、美味しいお店は熟知しておりますので♪

今後とも宜しくお願いします。

以上、高橋会員レポートでした。 

 

 


(第4回例会より)過去の例会記事抜粋

中国会員レポート   発表者:張 旭梅会員(中国出身米山学友会員)

長年住んでいたのに、真面目に長春について調べるのは、今回はじめてです。

 

長春―――自動車と映画の町

 

 

市内で最も広い広場&公園。広いは広いけど、そのわりには木が少なく、夏になると、とにかく暑い。

 

ここは最も人気な繁華街。一流ブランドも店や、映画館、電気屋もあります。

長春は中国東北三省と呼ばれる黒龍江省、吉林省、遼寧省のうち、吉林省の省都です。中国のここに位置します。

  四季があり、気温の変化が激しいです。夏は暑く、冬は寒いです。さすがに東北に位置し、冬の平均最低気温はなんとマイナス20度近くにもなります。

 

 

長春は二つのことで名前が知られています。

一つ目は1953年に設立された中国第一汽車集団(中国第一自動車製造廠)です。ここでは中国初めての国産のセダンが誕生しました。

 

1958年5月5日 中国初のセダン、「東風」です

品番:CA71。CA―長春第一汽車製作廠(第一汽車集団の前身)、7―乗用車、1―一代目。

セダンに乗った経験のない中国エンジニアーたちは、「東風」の製造において、フランスとドイツ車を参考したそうです。技術的に未熟のところが多く、結局「東風」は量産には至らず、30台しか作られていませんでした。

 正真正銘の国産セダンの誕生

1959年、建国記念を祝うため「紅旗(ホンチー)」というブランドを立ち上げ、製造に成功しました。「紅旗(ホンチー)」は外見から内部まで、設計に中国要素を取り入れて、中国特色のあるオリジナルのセダンです。部品のほとんどは手作りで、性能的にもよいということです。

 

 

 

 

1983年に製作された、観閲式に使われる「紅旗」

上記は「紅旗」の古いバージョンです。その尊い気品と高いクォリティ、オリジナリティにより、国産車の代名詞となり、国民の中でかけがえのない存在となっています。

残念ながら、当時生産された「紅旗」は一般市民用のものではなかったのです。そのためか、後に「脱古い紅旗改革」が行われ、新たな「紅旗」の登場となりました。

 

新しい「紅旗」はどう見ても、市場で売られている欧米と日本の自動車と類似しています。高級車の雰囲気があるものの、「紅旗」ならではの尊さ、漂っている歴史の重さと誇りが見えなくなります。そのためか、新しい「紅旗」の売れ行きはあまりよくないと言われています。

1991年に第一自動車製造グループはフォルクスワーゲンと提携し、世界の最新技術を使った乗用車フォルクスワーゲン・ジェッタの生産を開始し、成功に収めました。その後はトヨタ、マツダなどの大手自動車メーカーとの提携も始め、市場開拓を進めています。現在は中国三大自動車製作グループの一つとなっています[1]

長春は名前が知られる二つ目の理由は映画です。

1945年に成立された長春映画製作廠は、中国建国後初めての映画製作廠です。

製作廠の正門

ここでは中国初の記録映画、教育映画、アニメ映画、翻訳映画が誕生しました。長春映画製作廠は戦争映画と農村題材の映画の撮影が得意です。製作された映画は国内で数々の賞を受賞しました。

 

 

 

 1992年から長春映画祭も開催され始めました。2年に一回映画祭が開かれます。

 

  郷土料理

No1は酸菜(さんさい、またはスヮンツァイ)。私の大好物!

簡単に言えば、酸菜は白菜から作る冬季用の漬物です。

 作り方は簡単ですが、よく気をつけないと、すっぱみが足りなくなったり、腐ったりしてしまいます。

<作り方>

まず、晩秋に白菜を買い、2、3日天日に干します。

その後大きな甕に白菜を入れ(縦に半分に割ってから入れてもいい)、塩と水を入れ、上に重石を置きます。

甕を北のベランダやビルの階段に放置すし、しばらくすると、軽く自然発酵します。4週間ぐらい経つと、できあがりです。

写真のこのような感じです。

 

 白菜が発酵しているうちに、徐々にやわらかくなり、甕に沈みこみます。ちなみに、実家では、酸菜を作るのは父の仕事です。出来上がった酸菜を冷凍庫に入れて、私が食べに実家に行くまで保存してくれます。

 

Q:酸菜はどんな味ですか?

A:ドイツのザワークラウトに似ています。ドイツでザワークラウトを食べたとき、遠いヨーロッパでも故郷の酸菜が食べられるのだと、感動したほど、味が大変似ています。

 

酸菜は豚肉と相性が抜群。煮物料理によく登場します。

 

 

東北人は餃子が大好きです。旧正月になると、どの家族も餃子をつくり、テーブルを囲んで、新年を迎えます。酸菜と豚肉のコンビは旧正月を迎える餃子の餡子として、ベストチョイスです。

2、二番目の郷土料理は豚肉と春雨のうま煮(猪肉粉条)

 

東北地方の典型的な家庭料理です。

旧正月や大切な日を祝うため、農家は飼育する豚を殺して、料理に作り、近隣や親戚とともに分かち合います。現在ではスーパーで売られる豚肉で作っても美味しいですが、田舎で新鮮な豚肉を使うなら、さらに美味しいですよ。

長春は決しておしゃれな町ではありません。しかし、ここに生きている人間は本当に人情深いです。

皆さん、ぜひいつか長春へ遊びに来てください。(^^)      

以上 

 


(第7回例会) 過去の例会利用記事抜粋

ロータリー紹介ビデオ 「ジェニファー・スコットさんの心に残るロータリー体験」 動画&テキスト

*本内容は地区協議会で全クラブ宛に配られた動画です。

ロータリアン各位
新会員を引きつけ、現会員に末永く活動を続けいただくための新たな資料のご案内をいたします。
会員増強・維持は、私たちロータリアンの責務です。ロータリーが末永く成功し続ける団体であるためには、世界中のすべてのロータリー・クラブで会員一人ひとりが、ロータリアンであることの意味をよく理解し、その価値を入会候補者に説明できなければなりません。
そのためにご自身の「心に残るロータリー体験(ロータリー・モーメント)」をまとめ、語ることの大切さを私が説明するビデオをご用意しました。上の写真をクリックしてご覧ください。従来、私たちロータリアンは謙虚さを尊ぶあまり、自分たちの今までの功績を人に伝えることを躊躇する傾向がありました。しかし、ロータリーが達成してきたことを身近な人たち、そして世界に向かって積極的に発信しなければならない時期が来ています。
このリソース・キットは、皆さまのその取り組みにお役立ていただくものです。ぜひこのキットをご活用になり、会員増強と維持を皆さまご自身、そしてロータリー・クラブにおける最優先事項としていただくようお願い申し上げます。

田中作次  国際ロータリー会長

動画はこちら:

動画テキスト内容

 

ジェニファー・スコットさんの心に残るロータリー体験

私もみなさんと同じように、ロータリーのポリオ撲滅プログラムを一生懸命支援してきた一人です。その活動の一環として長年にわたりクラブや地区会合で講演を行ってきました。しかし、言葉を行動に移す必要性があると感じるようになったのは2011年の2月にポリオの実施チームの一人に参加したときからでした。ロータリーの経歴も長く、ポリオプログラムの知識を備えていたにも関わらず、インドで幼い子供の口に数滴のワクチンを垂らす仕事は全くの初めての体験でした。ロータリーのTシャツと帽子と出で立ちでにぎやかな道端にたっていた私の目の前に幼い女の子を前に乗せた一台のスクーターが停まりました。その子は私がワクチンを口に入れやすいようにおとなしく口をあけると頭を後ろにそらせました。それはまさに私の人生を変える体験でした。その子にとっても同じことがいえるでしょう。あのワクチンのおかげでポリオにかかることが無くなったのですから。インドに旅した事で全く新しい世界の扉が開かれました。ポリオとの闘いが絶対に必要であることを身を以て理解できたからです。世界からポリオが完全になくなるまで、ロポリオとの闘いもロータリーの仕事も終わることがありません。長年ロータリーがやってきたことに対しても理解と感謝の気持ちが深まりました。特にインドで全国予防接種日を計画し、水と衛生のプログラムを実施し、ポリオ患者の為に資金を提供し、また実際に手術を行っているロータリアンの方々には本当に頭の下がる思いです。私の参加した全国予防接種日チームには28名のロータリアンとボランティアがいました。インドと米国以外にもオーストラリア、カナダ、フィンランド、ニュージーランド、アルゼンチンから集まった国際色豊かなチームでした。チームメンバーの年齢も11歳のフィンランド人の少女から82歳のアメリカ人で子供のころにポリオを患った男性まで幾世代にもわたっていました。メンバーの職業も医師、弁護士、歯科医、看護師、教師、株式仲買に不動産業者とまさに多様でした。しかしポリオ撲滅という一つの目標のもとに集結した私たちは皆で力を合わせれば世界を変えることができるとロータリーの力を肌で感じ取ることができたのです。ご清聴ありがとうございました。


(第7回例会より)過去例会卓話より抜粋

会員レポート 

スリランカ出身学友会員 Buddhika Samarakoon 動画&テキストにて配信

動画はこちらからご覧ください。

私について

自己紹介させていただきます。私はスリランカから参りましたブッディカ・サマラコーンと申します。2000年4月に来日しました。一年間東京で日本語の勉強をその後母国スリランカと完全に気候の違う北海道の苫小牧工業高等専門学校に編入学しました。3年間の高専の勉強を終え2004年4月に電気通信大学に編入学しました。電通大で大学院まで進学し2008年3月に日本での勉強を修了し、その年の4月からエリクソン・ジャパンという会社就職し始めました。エリクソンは無線通信のインフラを提供している会社であり、そこで無線アクセスネットワーク(Radio Access Network)の業務関連の仕事をしております。

 

私の母国スリランカについて

昔セイロンとも呼ばれていました。現在、正式な名前は“スリランカ民主社会主義共和国”で、南アジアのインド半島の隣にある面積65,610km2(日本のほぼ1/6のサイズ)の小さな島国です。聞いたことある方もいらっしゃると思いますが、首都は長い名前のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテと言います。人口は2000万人ぐらい、民族は、主にシンハラ人74%、タミル人12%、他イスラム人などです。

主な言語はスリランカでしか通じないシンハラという言葉です。

 スリランカの義務教育は5~6歳からの10年間です。国が教育に力を入れており、大学までの勉強は無料です。国の識字率は92%ぐらいです。

         島国のスリランカ

 

 スリランカの多数の民族シンハラ人で、シンハというのはライオンという意味であり、国のシンボルはライオンです。その理由で国旗にはライオンのマークは入っています。多数派の仏教徒を意味するものとして4枚の菩提樹の葉が付加されています。

 

                    スリランカの国旗

 

スリランカの歴史

紀元前5世紀、シンハラ人の先祖にあたる人々が北インドから移住して王国をつくったと言われています。そのときの首都は国の北の方にあるアヌラダープラという都市であります。そこから徐々に王都は南の方に移動してきまして、最後に現在のコロンボになりました。今でも国で様々な遺跡が残っています。スリランカの小さな国でありながら、世界遺産8個あります。その中で6個も文化遺産になります。

 

                        シギリヤ・ロック

 

                              キャンディお寺

             

 

スリランカの紅茶

スリランカ茶はセイロン茶とも呼びます。セイロンとはスリランカの旧国名。

スリランカは、1965年に世界で最大の紅茶輸出国として台頭し、その後この世界1の地位を何度も達成してきました。1996年から、スリランカは毎年世界で最大の紅茶輸出国とのタイトルを維持し続けています。最近では、スリランカは世界の紅茶輸出市場の21%を占め て、世界の紅茶生産の10%を占めています。セイロン紅茶は、1997年以来世界で最もクリーンな紅茶というカテゴリーでこの栄誉を維持している。

スリランカの宝石

スリランカは宝石の産地として古来から世界に知られています。現在も宝石産出国の世界上位5位内に入っているそうです。

スリランカで取れるいくつかの宝石の主な種類は、

サファイヤ、ルビー、キャッツアイ、アレキサン、ドライト、スピネル、ガーネット

 

 

スリランカのお酒

スリランカ原産のココナッツの花蜜から作った「アラック」です。

ヤシの実や汁から作る蒸留酒があります。アルコール度数 30%以上。

アルコールに自信のある人はストレートかオンザ・ロックで、自信のない人はジンジャーエールやソーダで割ると美味しいです。ウイスキーと違ってココナッツのマイルドな飲み口が食欲をそそります。

 

 

スリランカの料理

米は主食です。ライス&カレーはメーン。

スリランカのカレーはココナツミルクがベースになっています。多種類のスパイスを利用します。

 

 以上会員スリランカレポートでした。

 


(第8回例会)過去の例会卓話より抜粋記事

会員レポート 中国出身学友 王輝 会員 テキスト

「中国天津」について

 

私は1997年来日し、すでに15年がたちました。日本に来て最初に生活していたところは名古屋でした。学生、そして、大学の教員、9年間名古屋に滞在しました。その後、転職のため、関東に移りました。今年4月から再び仕事の関係で名古屋に戻りました。考えてみたら、これも一種のご縁かもしれません。名古屋といえば、まず思いつくのはトヨタ自動車かもしれません。名古屋及び名古屋周辺では自動車関連企業は数多く存在しています。今中国は年間1850万台の新車販売台数で世界から注目されています。無論、トヨタ自動車は中国の多くの地域にビジネスを展開しています。実際、トヨタ自動車は中国に最初作った工場は天津にあります。天津、私の故郷です。今日中国の天津についてお話ししたいと思います。

「天津」といえば、すぐに想像がつくのは「天津甘栗」、「天津飯」でしょう。実際、天津は甘栗の生産地ではないです。天津は港で、昔、中国の甘栗が天津の港を経由して日本に出荷されたため、日本では「天津甘栗」と呼ぶようになったそうです。でも、天津の街でも炭で炒めて、香ばしい香りが風に運んできて、美味しそうな甘栗を売っている風景もよく目にします。アツアツのうちに食べてみると、本当においしいです。

そして、天津には「天津飯」がなく、日本人が作ったらしく、日本で生まれた中華料理です。その発祥に関しては、いろいろ説があります。たとえば、当初物質不足していた日本は中国天津産の良質米(小粘米)を輸入して、その天津の米を使って、蟹肉入り卵焼き乗せ丼という料理を作りました。当初「天津芙蓉蟹肉飯」と名前だったのですが、長くて読みにくいため、その後、いつの間にか「天津飯」と省略されるようになったとか、また、大正時代来日中国人が料理店を経営し、「天津飯」を作ったとか、といった説があります。近年、ビジネスの関係で中国で働く日本人が多くなり、中国において日本人向けのレストランでは、「天津飯」という料理は中国で食べることが可能になりました。

                                     天津飯                

天津甘栗

 次に天津の概況について簡単に説明します。

 天津の古称は「直沽」で、金の時代に集落が起こり、元の時代になって海津鎮という都市が形成され、明の時代に天津衛が置かれまして、そのごろから天津という名前で呼ばれるようになりました。天津は中国中央政府に管轄される4つの直轄市(北京、上海、天津、重慶)の一つで、華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨み、海から首都北京に入るため必ず経由する場所で、昔から軍事拠点としての要衝とされています。環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港です。人口は1100万人で、面積は約12,000km2で、中国の近代の工業の発祥地でもあります。1970年後半から中国では対外開放政策が実施され、そのときから、天津は14の経済特区の一つと指定されました。経済成長率の高さはここ数年に渡り全国トップです。2011年総GDPは上海、北京に次ぎ3位、1人当たりのGDPは中国全国1位です。

         天津市街

 天津は港で、物流の面から考えるととても便利場所に位置しており、そのため、多くの外資企業は天津に進出しています。2010年天津の外資系企業数は13000社があり、そのうち日系企業は約1000社があります。

 天津は交通が便利で、投資先として良い選択肢です。それだけではなく、観光名所も多数があります。有名な観光スポットとして、天塔、古文化街、天后宮、水上公園、大沽口砲台などが挙げられます。その中、古文化街はいつも多くの観光客で賑わっています。古文化街は1986年の元旦に完成し、清朝時代の民間建築を基に建造され、古い街並みを再現された場所で 川沿いの比較的街の中心にあります 土人形・書・絵画・骨董・民芸品など色々さまざまなお店が沢山あります。その独特な「中国風、天津風、文化風」な趣きが多くの国内外の観光客を魅了しています。同文化街の観光商店街は2007年、国家5A級観光景区に認定された。旧暦の新年が近づき、伝統的な切り紙細工、飾り提灯が街にあふれ、訪れる観光客はあとを絶たないです。古文化街の内に有名観光名所の天后宮があります。天后宮は元の時代(1326年)に建てられたお寺です。歴史に何回も再建されていました。“天后”とは、海の守り神のこと、聡明でとても泳げて、海に出ては遭難者を救った、“通元霊女”、“竜女”、“神女”だと言われて、逝去の後でも何回も人間に化身し、遭難者を救うという伝説があり、その後は海上の仙人として祭られた対象になりました。漁師や船乗りたちの信仰らは参拝されています。また、天后宮では鐘を1回つけば「百順:すべて思い通りに、都合よくコトが運ぶ」、2回つけば「吉祥:めでたい兆し」、3回つけば「安康:無事と健康」という伝説があり、順調、健康を願 うためたくさんの人々はここを訪れ来ます。

 天津で観光しながら、天津料理を味わうのも一つの楽しみです。天津は中国北方の大都市で、天津料理は「北方料理」に属し、北京料理と似ている部分が多く、醤油が大量に使う習慣があるため、味が少し濃いです。天津名物としてとても有名なのは狗不理包子(肉まん)、十八街麻花児と耳朶眼児揚げパンです。「天津三絶」(3大絶品の意味)と言われています。天津に来ましたら、是非味わってみてください。

       十八街麻花児  

           

耳朶眼児揚げパン

以上、王輝会員レポートでした。

 

 


(第6回例会より)過去の例会利用記事抜粋

会員によるロータリークラブ紹介 投稿 中前 緑

訪問先: ROTARY CLUB OF CITY NORTWEST HONG KONG, RID3450地区

クラブURL :http://www.rotary3450.org/cnwhk/

 

2012年7月4日に東京米山友愛ロータリークラブの林志英さんが商用で香港にいらしていたので、一緒に初めて香港のロータリークラブにメークアップに行ってきました。

海外のメークアップは初めてですが本当に楽しいひと時でしたので皆様にご紹介させていただきます。

実はこの日は新しい年度の初例会という事もあり、いつもと違う例会メニューだったそうです。場所は香港島のワンチャイにあるGRAND HYATTホテル内でした。

http://hongkong.grand.hyatt.com/hyatt/hotels-hongkong-grand/

 

事前にRotary Locatorというホームページの例会場アプリで検索し、クラブに連絡をしたところ例会日と場所の確認がとれました。

私が英語で話していたので、英語で開催される香港島の例会場を紹介してくれたのですが、林さんの仕事の会場近くという事もあり、広東語で例会を開催するクラブに行くことを相談して決めました。

実際に例会は12時半から14時までの1時間半のランチ例会でした。

会場について最初の30分はドリンクカクテルで会員が親睦懇談をしておりました。

13時近くに席を移動し、例会が始まりました。少しずつ会員の皆さんが集まって名刺交換をしました。The Peakロータリークラブ ガバナー補佐Mr. Michael Kwanの方もこの日はメークアップに来られていたので、色々香港の事をお話しいただけました。実はこのThe PeakロータリークラブとRID2750地区の広尾ロータリークラブとは姉妹クラブだそうで、お話を伺い大変嬉しく思いました。

私たちの近くには日本語を話す会員がいらして、英語を話す会員が配慮してくれ例会内容も把握する事ができました。

初例会という事で会長初心表明、クラブ協議会的な例会でした。

お待ちかねの食事は中華(広東料理)のフルコースです。

この日はお祝いという事で、会員の差し入れシャンパンがあり、会員の中にはワインソムリエがいらしたので、皆でワインの勉強もしました。

点鐘後の会長挨拶で最初に私と林さんにバナーを一枚ずついただきました。

その写真がこちらです。

写真左が今年度の会長 Mr. Fergus Fung 区議会議員だそうです。

真ん中、中前、右 林さん

首から下げているのが歴代会長の名前と年度が入ったメダルでした。

1988年に創立されたクラブです。クラブの歴史を感じました。

クラブバナーの由来を聞いたところ、香港地域を表す、ビクトリアハーバーと今の例会場のハイヤット、ワンチャイのシンボルコンベンションセンター(実はこの中のFashion Weekの展示会で林さんが商用にいらしておりました。)と旧例会場のホテルモチーフに作られたと説明してくれました。

例会の風景はこちらです。

ロータリーソングは歌いませんでした。

開会の点鐘と閉会の点鐘で例会が執り行われておりました。

食事もどれも美味しく、最後まで残念ながら食べきれませんでした。

誕生日のお祝いというで中国デザートの他にバースデーケーキまで。

これにはさすがに参りました。食事の写真を掲載します。

 

 

 

 

 

お祝いスパークリングワイン

 

中華風マンゴータピオカデザートの後のバースデーケーキでした。

 

例会後に皆様と記念撮影しました。

 

親子で入会の会員もいらっしゃいました(写真右お二人)

又いつでも遊びに来てくださいとお声をかけてくれ、最初は男性ばかりのクラブで二人とも大変緊張していたのですが、気が付いたらあっという間の大変楽しい思い出に残るメークアップとなりました。このクラブの会長をはじめ会員の方も良くお仕事で日本に行かれるそうです。

メークアップフィーは350香港ドル 日本円で3,500円程度です。

事前にホームページでスケジュールをご確認の上、事務局に連絡する事をお勧めします。

以上、CITY NORTHWEST HONG KONG

これからも関係者がメークアップしたクラブ紹介をどんどん紹介していきたいと思います。

 

 


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